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【なぜ僕らは働くのか?⑭】

兄弟子から頂いたCDには

「中村文昭講演会」と書いてありました。

「中村文昭」?

初めて聞く名前でしたが

福岡から長崎まで帰る車内で

早速そのCDを聴いてみました。

その結果

•••

長崎に着いた頃には

私は放心状態になっていました!

私の魂がブルブルと震えるのが分かりました。

ジーンと感動したとかいうレベルではなく

完全に火が着きました

すぐに兄弟子に電話し

「スイッチが入りました!」と報告すると

「良かったやろ?」

「ちょうど来月、佐賀で講演会があるけど一緒に行く?」

私は2つ返事で行くことを決めました!

翌月

講演会会場の前列に席を位置どり

生の中村文昭さんを見ることできました!

見た目はお祭りにいる的屋のおっちゃんみたいな人!

生の中村文昭さんのパワーと面白い話に引き込まれて

アッいう間の2時間が過ぎました。

講演会の話の中で印象的だったのは

お師匠さんから

4つの鉄板ルールを叩き込まれたこと!

①「返事は0.2秒」

②「頼まれごとは試されごと」

③「出来ない理由を言わない」

④「今できることをやる」

生の中村文昭さんの話を聴いて

更に

スイッチが入ってしまいました!

講演会が終わって

数日経ったある頃

兄弟子と食事をする機会がありました。

すると

兄弟子の口からこんな言葉が発せられました。

「渡邉さん 中村文昭さんを長崎に呼んだら?」

私「えっ〜、そんなそんな自分には無理ですよ!」

と答えると。

兄弟子「あっ、そう!」

しかし

私の心の中では

あれっ?

「兄弟子は私を試しているのかな?」

そう思いながらも

これ以上

その話をすることはありませんでした。

そして

また翌月

兄弟子と食事をする機会がありました。

すると

その席で兄弟子は

私にこう言いました。

•••

「渡邉さん中村文昭さんを長崎に呼んだら?」

私「えっ〜!」

私はその場でも

「はい」とも「いいえ」とも

返事をすることはできませんでした。

しかし

家に帰っても

兄弟子の言葉が

耳から離れずに

氣になって、氣になって

ついに

電話の受話器を取りました。

私「もしもし、中村文昭さんの事務所ですか?」

「長崎で講演会を開催したいと思っているのですが

いつがスケジュール空いていますか?」

•••

「12月23日(祝)だと大丈夫なんですね。」

「では、その日を宜しくお願いします。」

ガチャッと

受話器を置きました。

私「とうとう、オファーしてしてしまった!」

こうなったら後には引けません。

次に私がとった行動は

長崎で多くの人を収容できる会場を片っ端から調べました。

その結果

長崎ブリックホールの国際会議場が

ドンピシャ空いているではありませんか?

最大600人収容できるホールです。

講演会など企画したこともありませんので

何からやったらいいのか全く分かりません。

取り敢えず

友人に助けを求めて

10人ぐらいの仲間が集まり協力してくれることになりました。

私は無謀にも費用がどれぐらい掛かるのか全く考えていませんでしたが

仲間の一人がどれぐらい経費が掛かるのか試算してくれました。

すると

最低でも300人は人を集めないと

完全に赤字になってしまうということでした。

私は自分の仕事もうまくいっていないのに、どうやって人を集め、どうやって講演会を運営したら良いのか?

しかも、仲間まで巻き込んでしまい

なんて馬鹿なことを企画してしまったのだろうとすごく後悔をしました。

言い方は悪いですが

もう、こうなったらヤケクソです。

できるだけのことはやって

もし、人が集まらなかったら中村文昭さんに頭を下げてお詫びしよう。

お金が足りずに赤字になってしまったら

自分が全責任をとって

借金してでも返そうと心に決めて告知活動を開始しました。

10人の仲間も必死で応援してくれました。

そして

12月23日の講演会の当日を迎えることになりました。

•••

つづく

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