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【なぜ僕らは働くのか?⑤】

障害者施設で仕事は利用者さんのサポートを行いながら、自分自身も人として成長させて貰いました。

3〜4年経つと仕事も責任ある役割を任せられるようになりました。

もっと成長したい、もっと自分にできることはないか?そんな事を毎日考えていました。

仕事にもやりがいを感じていましたし、毎日が充実していました。

しかし

もう一つの目標であった、海外青年協力隊の隊員になることは、常に頭の片隅にありながらも、なかなか行動に移すことができない状態にいました。

そう思っていると

ちょうど、アメリカに行く機会に恵まれました。

私にとっては初の海外でした。
一通り観光も楽しみ、仲間達とある飲食店に入りました。

私達がテーブル席で食事をしていると、カウンターの方から大きな声が聞こえてきました。

「お酒に酔っているのかな?」と思いましたが

客の男性数名が女性の店員さんに因縁をつけて暴言を浴びせ出したのです。

私は異変に氣づいて、止めに入ろうとしましたが、一緒にいた仲間から「銃を持っているかもしれないから、止めた方がいい」と言われその場から動くことができませんでした。

女性の店員さんが困っている時に、助けることができなかった自分が情けないと思いました。

せっかくアメリカまで来たのに、女性店員さんの怯えた表情が忘れられず、次の日も全く楽しめずに悶々とした氣持ちでいました。

氣分転換にビーチへ散歩に行ってみました。

とても綺麗な海に日本人カップルを発見しました。

2人の会話に聞き耳を立てた訳ではないのですが、私の耳に入ってくる、この独特のイントネーションをどこかで聞いたことがあるのです。

「ひょっとして長崎弁?」

私は2人に声を掛けてみました。

「ひょっとして九州の方ですか?」

「はい、長崎からです。」

ビンゴ!

2人は新婚旅行でアメリカに来ており、ご主人さんは私の一つ年上で奥さんは私と同学年でした。

年も近く、長崎人と言うこともあって、私達はすぐに意氣志投合しました。

その日の夜に一緒に食事することにしました。

ご主人さんは解体業の若社長でしたが、話を聞くと色々な苦労されている方でした。

自分と同世代なのに色々な苦労と経験をしていて、会社の社長を勤めているとはすごいなと思いました。

連絡先を交換し、日本に帰ったら必ずまた会いましょうと固い握手を交わして別れました。

日本に帰国してから

3カ月後

まさか、自分がアメリカで出会った人の解体屋で働くことになるとは、その時は思ってもいませんでした。

人生何が起きるかわかりません。

つづく

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