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【なぜ僕らは働くのか?③】

退職届けを提出しました。

社会人としてのいろはを教わり

本当に勉強させて貰うことばかりでした。

私は目標を福祉の道に決めました!

もう一度学校に行く為には学費を稼がなければなりません。

私はアルバイトを始めました。

今でいうところの2刀流でしょうか?

昼は土木作業員

夜は交通誘導警備員の仕事を始めました。

とにかく短期間で学費を稼がないと!

体力だけには自信がありましたが、土木作業員の仕事は想像以上にきつかったです。

野球のトレーニングとはまた異なります。

自分よりもだいぶ年上の人達が重たい単管パイプを何本もまとめて肩に背負って歩きます。

負けず嫌いな私は「その位は自分にも持つことができる」と思っていましたが

単管パイプを乗せた肩は痛いし、足元はフラフラするし、実際には同時に2本ぐらいしか持つことはできませんでした。

1〜2ヶ月すると要領を得て、私も単管パイプをまとめて持てるようになりましたが、その頃は体重が一気に10kg近く痩せました。

仕事はきつかったですが、
筋力もついてきて、営業の仕事をしている時よりも健康的になってきました。

それよりも、何よりも

一番辛かったのは

「睡魔」との戦いでした。

交通誘導警備の仕事は

工事現場の側に立ち歩行者の安全を守るのですが

時々、マンホールに落ちたり、

車や重機に敷かれたりすることがありました。

あってはならないことですが

そういう夢を見ていました。

どうやら、立ったまま寝ていたんですね。

2刀流のアルバイトを数ヶ月続けました。

20歳の成人式の時に

警備会社の従業員の皆さんからお祝いに財布をプレゼントしてもらいました。

事情があって、私のようにWワークしている人や事業に失敗して借金している人もいました。

その中でも

私の働き方は異常だったらしく、当時は会社の中でも「猛烈に働く変な奴がいる」と噂になっていたようです。

そんな、皆さんからプレゼントして貰った皮の財布とても嬉しかったです。

そして

社長からは特別に自宅に招いて頂きました。

今まで見たことも飲んだこともない高級ブランデーや高級ウイスキーがずらっと並んでいました。

お前が好きなものを好きなだけ飲めと言われました。

私は

お酒は強くありませんでしたが

社長から注いでもらったお酒を全部飲みました。

味は美味しいのか美味しくないのかよくわかりませんでしたが

これが高級なお酒の味なんだなと知りました。

社長から

「お前は何の為にそこまで働くのか?」

と質問されました。

私はその時に自分がやりたいことや父親の話をしました。

私の父には障害のある両親がいました。
長崎市内に住んでいた家族は1945年8月9日にみんな原爆で被爆してしまいます。

父親を亡くしてからは小さな弟や妹を育てる為に中学卒業してからずっと働いて、苦労していたそうです。

私の父親は自分が苦労した話を自らしませんが、祖母が亡くなった時に叔母から教えて貰いました。

「潤、考えられるかい?」

「授業参観にも親の代わりに兄貴が来てくれてたんだよ!私にとって兄貴は父親代わりの存在だったんだよ。」

自分は本当に恵まれている環境に生きているし、甘いなと思ったのを覚えています。

社長には自分の夢の実現の為には自分の力でやりたい、その為に働きたいんだと話をしました。

社長は黙って話を聞いてくれました

そして

社長は自分の経験談を話してくれました。

社長は若いころにやんちゃをしていて人に迷惑を掛けたり、人を傷つけたりしたこと、刑務所にも入ったことがあり、本当にロクでもない生き方をしてきた。

最後は涙を流しながら

だから「俺はこれからの人生は今までお世話になった人達に恩返しばしたとさ!」

その為に働きると

「借金を返すため」

「夢を実現するため」

「恩返しをするため」

同じ働くにしてもそれぞれの理由があるのです。

つづく

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