航君の子どもの頃の夢は
「甲子園でプレーすること」
しかし
高校野球最後の夏の大会は
ベンチ入りすることは叶わず
チームメイトをスタンドから大きな声で応援しました!
結果は「初戦敗退」で航君の高校野球は幕を閉じました。
野球はチームスポーツですから、控えの選手も当然一丸となってチームを応援しますが
それでも
甲子園出場はおろか、グランドにすら立てず最後の夏を終えた航君は
一体「どんな氣持ちだったのでしょうか?」
大会が終わった直後に航君のお父さんから私のもとへ一本の電話がありました。
その夏に私は息子と一緒にアメリカのベースボールスクールに短期留学する予定がありました。
航父「高校野球を不完全燃焼で終わった息子も一緒にアメリカに連れて行って欲しい」という内容でした。
私は中学生の頃から航君をサポートさせて頂いていた縁もありましたので、一緒にアメリカに連れて行き、色々なことを経験して貰いました⚾️
アメリカから帰国した航君は進学も就職もせずに北海道の独立リーグ「美唄ブラックダイヤモンズ」でプレーすることを決めました!
高校時代はベンチ入りすることさえできなかった航君ですが
本人の努力の甲斐もあり、
チームではなんと「4番」を任せられるまでの選手に成長することができました。
そして、何より素晴らしいのが
70試合近い試合をチームで唯一全試合出場していることです👏
所属している「美唄ブラックダイヤモンズ 」が北海道ベースボールリーグ初代チャンピオンに輝く大きな原動力となりました🏆
私も航君の活躍を毎回インターネットでしていたので、優勝の報告を受けた時は様々な感情が溢れてきました。
先日、1年振り航君と再会し食事をしました。
シャイで口数が少ない航君でしたが
この1年で体も随分と大きくなり自身に溢れた
とてもいい顔をしていました😊👌
航君が高校生の時に私がプレゼントした「夢なきものに理想なし」の言葉を送りましたが今も大事に持ってくれているそうです😌
航君優勝おめでとう🏆
そして、一緒に「夢」を見させてくれてありがとう🥺