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【鯛(たい)と鱈(たら)と鱒(ます)の話】

高校を卒業して、私は商社に就職しました。

野球部の監督から紹介していただいた会社です。今でも当時の会社の方々とのご縁があり、お世話になっています。

感謝しているからこそ、少し書くのをためらうのですが、当時の私には他にやってみたいことがありました。

大学や社会人でも野球を続けたかった。

でも、肩を痛めていた私は、 野球を続ける自信を失っていました。

「野球はもうしない」

本当は「しない」ではなく、「できない」「自分には無理だ」と思っていたのだと思います。

働き始めて一年ほどたった頃、ふと考えました。

「自分は、何のために仕事をしているんだろう」

一日は24時間。
眠る時間を除けば、仕事が一日の大半を占めます。

それなら、自分がやりたいと思える仕事をしたい。

同じ頃、同世代の仲間たちがプロ野球で活躍し、ニュースにも登場するようになりました。

華やかな世界で輝く姿が、正直、羨ましかった。

応援する気持ちとともに、
「自分は逃げてしまったのではないか」
「あの時、諦めなければ」
そんな後悔もありました。

高校生の頃、私は『世界ウルルン滞在記』という旅番組が好きでした。

知らない国へ行き、現地の人と出会い、その土地の暮らしに飛び込んでいく。

「いつか、自分も海外へ行ってみたい」

そんな憧れを持っていた19歳の時、青年海外協力隊の存在を知り、説明会に参加しました。

行き先はどこでもいい。
私も海外に行って、人の役に立つ仕事がしたい。

でも、必要なのは、その気持ちだけではありませんでした。

知識や経験、資格。
当時の私には、活動につながるものがありませんでした。

「それなら、資格を取ればいい」

人の役に立ち、人に喜んでもらえる仕事は何だろう。

そう考えた時、浮かんだのは、障害のある祖母の姿でした。

私は福祉の学校へ進み、その後、約8年間、介護福祉士やケアマネジャーとして働きました。

人と関わり、誰かの暮らしを支える毎日。
やりがいがあり、自分の天職だと思っていました。

そんな私が施術家の道を志すきっかけになったのは、自分自身の首の不調でした。

その話は長くなるので、またいつか。
興味のある方には、直接お話しできたらと思います。

開業資金を貯める為に朝も晩も眠る暇も惜しんでめちゃくちゃ働きました。休みもない。遊ぶ暇もない。

その後、上部頚椎カイロプラクティックを学び、31歳で自分のオフィスを開きました。

目の前のことに夢中になるうちに、海外への憧れは、いつの間にか心の奥にしまわれていました。

そして32歳の時。
研修でアメリカラスベガスへ行くことになりました。

その飛行機に私が憧れていた島崎先生が乗っていました。

当時、40代前半だったと思います。
いつもスリーピースのスーツを格好よく着こなし、本も出版されていた、有名なカイロプラクターの一人です。

機内でもパソコンを開き、勉強されている先生に、私は勇気を出して声をかけました。

「私も、島崎先生のようになりたいです。自分に自信を持って、たくさんの方に喜んでもらえて、物心ともに豊かになるには、どうしたらいいでしょうか」

すると先生は、こんな質問を返されました。

「渡邉さん。鯛(たい)と鱈(たら)と鱒(ます)があったら、どの魚が好きですか?」

突然の質問に、私は戸惑いました。
何か深い意味があるのだろうか。

あなたなら、何と答えますか?
少し考えてみてください。

私は、単純に好きな魚を答えました。

「鯛(たい)です」

すると先生は、

「これからは、鱒(ます)を好きになってください」

そう言って、言葉の意味を教えてくださいました。

鯛(たい)は、
「こうしたい」「ああなりたい」。

鱈(たら)は、
「お金があったら」「時間があったら」「能力があったら」。

鱒(ます)は、
「やります」「できます」「します」。

願っているだけでも、条件がそろうのを待っているだけでも、なかなか一歩は踏み出せない。

まずは、自分が使う言葉を変えてみる。

「だから、これからは鱒(ます)を好きになってくださいね」

先生は、ニコッと優しく微笑んでくれました。

私には、それが「できない理由を探す前に、自分にできる一歩を踏み出してみよう」という言葉に聞こえました。

あの時の言葉を、今でも大切にしています。

それから私は、会いたい人には会いに行く、行きたい場所には行ってみる、という気持ちで行動するようになりました。

北海道から沖縄まで、日本各地へ。
会いたい人がいる場所へ、自分の足で出かけていきました。

そして、40歳を過ぎてからは子どもと一緒にアメリカへ野球留学もしました。

高校を卒業する頃には、肩を痛めて「自分にはもう無理だ」と思っていた野球。

その野球を学ぶために、40歳を過ぎた自分が海を渡っている。

あの頃の私には想像もできなかったことです。

もちろん、旅をすれば予定どおりに進まないこともあります。
トラブルに遭い、困ったこともありました。

それでも、振り返ればそれも良い経験になっています。

失敗して初めて分かったこと。
困った時に手を差し伸べてくれた人の温かさ。

出かけてみたからこそ、知ることのできたものがありました。

今回のタイ行きも、そうでした。

父がかつてお世話になった方に会いたい。
父が過ごした場所を、自分の目で見たい。

「いつか行きたい」と思っているだけでは、その「いつか」は決まらない。

だから今回は、
「行きたい」を「行きます」に変えました。

19歳の頃に憧れていた海外。
今、私はタイにいます。

あの頃とは、仕事も、年齢も、ここへ来た理由も違います。

それでも、知らない土地で人と出会う喜びは、あの頃、テレビの前で想像していたものとつながっている気がします。

これからも、会いたい人に会いに。
行きたい場所へ、自分の足で。

タイの空の下で、ふと思い出したのは、
飛行機の中で微笑んでいた島崎先生の顔でした。

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